「攻めのバトン」っていったいなに?リレー侍から学ぶ攻めのバトンと仲間との絆!

教育

東京オリンピックでまさかのバトンミスをしてしまった日本男子リレーチーム、通称「リレー侍」。
そんなリレー侍の選手が口々に言っていた「攻めた」という言葉ですが、リレーで攻めるというのはどういうことなのでしょうか。
「攻め」の中から見えるリレーの難しさについて今回は考えていきたいと思います。
これから運動会や陸上記録会シーズンにもなっていきます。
小学生もリレーをする機会が増えてきますが、最後まで読んでいただくとどのような心づもりでリレーに取り組んだらいいのか、そしてどのような練習が必要なのかが見えてくるかもしれません。

1 攻めのバトン

そもそもリレーに「攻め」も「守り」もあるの?と思いませんか?
レース後のインタビューで「攻めた」という言葉がたくさん使われていました。
あれはいったいどういうことなのでしょうか。
リレーについては

 

こちらで詳しく解説をさせていただいたいます。
簡単に話すと「4×100m」のリレーは一人が100mで4人で走ります。
バトンの受け渡しは30mからなるテイクオーバーゾーンの中でないと失格となります。
今回の日本の失格はこのテイクオーバーゾーンでの受け渡しができなかったために起こりました。
リレーは単純に一人一人の持ちタイムで結果が決まるわけではなく、バトンの受け渡しによって結果が変わると言っても過言ではないくらいです。
日本はこの受け渡しを「アンダーハンドパス」で行っており、日本のお家芸と言われるほど、そして世界一と言われるほどの精度を誇っていました。
しかしなぜ今回は失敗をしてしまったのでしょうか。
それは攻めたからです。
詳しく解説したいと思います。

2 攻めのバトン2

リレーにおいてバトンを受け取るのは2,3,4走の3人です。
そのため、その3人は自分がスタートを切る場所から、足の大きさ分だけ距離を取ります。
10歩分だった場合には10足長を取りますし、トップ選手であれば30足長くらい取ります。
今回この「足長」がキーポイントとなるのです。
予選を通過したとき、そして個人種目の100m走・200m走を走った経験上
「今の足長では勝てない」
と判断したのでしょう。
例えば30足長でスタートを切った場合、普段でしたらテイクオーバーゾーンの終わりよりも10m手前で受け渡しが行われていたとします。
でも日本チームは金メダルを目指していたので、テイクオーバーゾーンぎりぎりでの受け渡しを狙いました。
そのため、もしかしたら30足長で取っていたものを、30.5足長や31足長にしたかもしれません。
これはあくまで憶測で実際に30足長を取っていたかもわからないし、当日に何足長を取ったのかもわかりません。
ですが「いつもと変えた」ことは確かです。
「攻めた」という言葉の中には「いつもと違う」が含まれているからです。
このいつもと変えて足長を多く取ったということが、つまりは「攻めた」の意味なのです。

3 なぜ失敗した?なぜそうした?

「いつもと違う」ということは失敗のリスクが高まるということです。
もちろん100%で失敗するなら、そのリスクは取らなかったでしょう。
ですが選手たちに押し寄せるのは
「地元開催」
「金メダル」
「今大会ではまだ結果が残せていない」
これらがプレッシャーとなり、攻めの選択肢を取ってしまったのです。
攻めのリレーは諸刃の剣で、今回のような失敗と、もしかしたらのメダルの両方を持ち合わせています。
「今大会の調子を考えると攻めてもバトンは渡るだろう」
「今まで失敗していないし、今回も大丈夫だろう」
などが失敗をもたらしました。
コンマ何秒という目視ではわからないくらいの「瞬間のタイミング」がずれたのです。
通常ではないのでそんなコンマ何秒が響くのです。
つまりはそれくらい繊細な世界で戦っているのです。
5年間かけてたった足の大きさ半分・・・せいぜい14cm程度で合わなくなるくらい精度が高めたのです。
これは日本に限ったことではありません。
どの国も同じように精度を高めてきたに違いありません。
でも日本はアンダーハンドパスでした。
アンダーハンドパスはオーバーハンドパスに比べると、走者同士が近くならないと渡りません。
そのため、攻めのリレーと調子に追い付かなかったのです。

4 教育場面で伝えること

よく集団スポーツで
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
と言われます。
リレーでも例外ではありません。
負けた理由を誰かのせいにしないということです。
誰かのせいにするのであれば自分が1秒でも速く走っていれば良かったんだと思います。
今回、1走から2走で失格が起こってしまったので、3走の桐生選手と4走の小池選手は走っていません。
「おいっ!なんてことしてくれたんだ!俺たちが走れていればメダルを獲れたかもしれないんだぞ!責任とれ!」
なんて言葉はインタビューでは一言も出ませんでした。
「攻めててこういう結果になったので、誰も悪くない予選でもっと自分がいい走りをして多田、山縣さんに心の余裕あれば違っていた。」
このように話しました。
「誰も悪くない」
チームとして戦った以上、誰のせいも誰のおかげもないということを言いたかったのでしょう。
そして
「予選で自分がもっといい走りをしていたら」
事実として失敗をしたのは桐生選手ではありません。
でも責めるのは自分でした。
誰かのせいにすれば実際はラクかもしれません。
でも誰のせいにもしないどころか自分のせいにして仲間をかばい、自分の成長を誓いました。
これはクラスでも授業でも伝えるべきことなのだと思います。
誰かのせいにし合って、責め合っていたら日本のリレーは終わっていましたが、きっと成長を続けるのだと思いました。
子どもたちの成長もこうして作られていくのです。
「攻めのリレー」は「責めのリレー」ではないということです。

5 まとめ

今回は日本のお家芸と言えるリレーでなぜ失敗が起こってしまったのかについて考えてみました。
インタビューで何度も聞こえたのは「攻めた」という言葉でした。
この攻めたというのはいったいどういうことなのでしょうか。

攻めのバトン
今回の日本の失格はこのテイクオーバーゾーンでの受け渡しができなかったために起こりました。
リレーは単純に一人一人の持ちタイムで結果が決まるわけではなく、バトンの受け渡しによって結果が変わると言っても過言ではないくらいです。
日本はこの受け渡しを「アンダーハンドパス」で行っており、日本のお家芸と言われるほど、そして世界一と言われるほどの精度を誇っていました。
しかしなぜ今回は失敗をしてしまったのでしょうか。
リレーにおいてバトンを受け取るのは2,3,4走の3人です。
そのため、その3人は自分がスタートを切る場所から、足の大きさ分だけ距離を取ります。
10歩分だった場合には10足長を取りますし、トップ選手であれば30足長くらい取ります。
今回この「足長」がキーポイントとなるのです。
予選を通過したとき、そして個人種目の100m走・200m走を走った経験上
「今の足長では勝てない」
と判断したのでしょう。
ですが「いつもと変えた」ことは確かです。
「攻めた」という言葉の中には「いつもと違う」が含まれているからです。
このいつもと変えて足長を多く取ったということが、つまりは「攻めた」の意味なのです。
「いつもと違う」ということは失敗のリスクが高まるということです。
ですが選手たちに押し寄せるのは
「地元開催」
「金メダル」
「今大会ではまだ結果が残せていない」
これらがプレッシャーとなり、攻めの選択肢を取ってしまったのです。
コンマ何秒という目視ではわからないくらいの「瞬間のタイミング」がずれたのです。
つまりはそれくらい繊細な世界で戦っているのです。
5年間かけてたった足の大きさ半分・・・せいぜい14cm程度で合わなくなるくらい精度が高めたのです。
日本はアンダーハンドパスでした。
アンダーハンドパスはオーバーハンドパスに比べると、走者同士が近くならないと渡りません。
そのため、攻めのリレーと調子に追い付かなかったのです。
よく集団スポーツで
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
と言われます。
リレーでも例外ではありません。
負けた理由を誰かのせいにしないということです。
誰かのせいにするのであれば自分が1秒でも速く走っていれば良かったんだと思います。
今回、1走から2走で失格が起こってしまったので、3走の桐生選手と4走の小池選手は走っていません。
桐生選手はレース後のインタビューで
「攻めててこういう結果になったので、誰も悪くない予選でもっと自分がいい走りをして多田、山縣さんに心の余裕あれば違っていた。」
このように話しました。
「誰も悪くない」
チームとして戦った以上、誰のせいも誰のおかげもないということを言いたかったのでしょう。
そして
「予選で自分がもっといい走りをしていたら」
事実として失敗をしたのは桐生選手ではありません。
でも責めるのは自分でした。
誰かのせいにすれば実際はラクかもしれません。
でも誰のせいにもしないどころか自分のせいにして仲間をかばい、自分の成長を誓いました。
これはクラスでも授業でも伝えるべきことなのだと思います。
誰かのせいにし合って、責め合っていたら日本のリレーは終わっていましたが、きっと成長を続けるのだと思いました。
子どもたちの成長もこうして作られていくのです。
上手なバトンパスと言えば、縄文時代から弥生時代へのバトンの受け渡しです。
他の時代はだいたいが戦国時代などの争いごとの勝利や明治維新のような時代の大きな変化によってもたらされましたが、縄文時代と弥生時代だけは
「あれ?いつのまに弥生時代になってたん?!」
「いつからいつまでが縄文時代で、いつからが弥生時代なん?」
という感じであまりにスムーズにバトンが引き継がれました。
日本チームのバトンや子どもたちの成長のバトンも、縄文から弥生のようにスムーズな引き継ぎで時代の成長と同じように、人類も成長を止めないことでしょう。

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