東京オリンピックが行われるのか、行われないのか、今それについての議論がものすごく増えているように感じます。
いろいろな問題が絡み合っている今回の東京オリンピックを道徳教育という観点から考えていきたいと思います。
東京オリンピック2020について、もっと深く考えるきっかけになると思います。
1 究極の選択
学校の道徳の授業では、たびたび次のような究極の選択を強いられる場面があります。
道徳資料のこの話をご覧ください。
ある国にハインツという男の人がいました。
そのハインツの奥さんはとても大変で特別な病気にかかり、今にも命を落としそうでした。
医者は、
「ある薬を飲めば助かるかもしれないが、それ以外に助かる方法はない。」
と言いました。
その薬とは同じ町の薬屋が最近発見した特別な薬のことでした。
その薬を作るのに薬屋は何年も研究を重ね、たくさんのものを失い、大変な苦労と莫大なお金がかかりました。
薬屋は作るのにかかったお金の5倍の値段をつけてその薬を売っていました。
ハインツは、お金を借りるためにあらゆる親戚や友人を訪ねてまわりましたが、全部で薬の値段の半分しかお金を集めることができませんでした。
薬はそれほどに高かったのです。
ハインツは、薬屋に
「自分の妻が命を落としそうだ、どうか薬を安くしてもらいたい。できないならば足りない分は後で払うから、今半分の値段で売ってもらいたい。」
と頼みました。
しかし薬屋は、
「申し訳ないがそれはできない。この薬は私が何年も苦労してやっと発見したものだ。たくさんのお金と時間がかかっている。失ったものもたくさんある・・・。お金がないなら売る事はできない。」
と言って、ハインツの頼みを聞きませんでした。
ハインツは絶望し、【 】
というお話です。
最後の【 】のところには子どもたちの考えを入れます。
さて、どのような反応をするのでしょうか。
この話はモラルジレンマと言って究極の選択を強いられる問題です。
今回のこの究極の選択は「生命尊重」や「規則の尊重」や「善悪の判断」などが絡み合っています。
2 子どもの反応
この話を聞くと、ほとんどの子どもが「奥さんを見殺しにできない」という反応をします。
「お金はないけど見殺しはできないなら薬はどうする?」と聞くと「盗む」「借金する」「自分の親に相談する」など、いろいろな考え方がでてきます。
でも一番多いのは「盗む」です。
その意見を聞くと
「盗むのはよくない、自分の夫が犯罪を犯してまで奥さんは助かりたいとは思っていない。」
「もしも犯罪者になってハインツが捕まってしまったら、大切な時間を一緒に過ごす事ができない。だから短い時間でも一緒にいたいと思っているはず」
などの意見が出てきます。
いろいろと考えて意見交換をするのですが、結局のところ、モラルジレンマの授業にはどちらかが正しい間違っているという答えはありません。
自分の意見を押し通すのではなく、相手の考えをきいて、いろいろな意見があることを知って、そのときの自分の信じた答えを出すというものであり、そのスキルを身に付ける授業です。
だから、授業の最後に先生が「どっちが正しかった」なんてことは絶対に言いません。
モラルジレンマをはじめとする道徳授業は、意見の違う相手を叩き潰すために行っているのではありません。
自分の確固たる意見をもって、よりよい考え方を導きだすことです。
3 東京オリンピック2020
今回の東京オリンピック2020の問題では「開催するのか」「中止・延期にするのか」という意見に分かれています。
これは正直なところモラルジレンマと同じ問題だと私は思います。
どちらかが正しいわけではないし、どちらかが間違っているわけではない。
開催すれば開催しただけのメリットとデメリットがあり、中止・延期すればしただけのメリットとデメリットがあるのです。
いろいろな考えや意見を通して、考えていくことが大切なのだと思います。
だから、大人は
「自分の考えは○○だから、絶対に開催すべきだ!」
とか
「自分の考えは××だから、絶対に中止すべきだ!」
なんて言うのではなく、お互いの考え方を知った上で相手の意見を叩き潰すのではなく、相手を説得させるだけの意見をもつことが大切なのではないでしょうか。
だから、池江璃花子さんに「辞退してくれ」はおかしいのです。
辞退するかしないかは池江さんが決めることであって、周囲が「してくれ」と言えるものではないのです。
例えば池江さんがそれによって辞退を決めたとしても、東京オリンピックを開催しないということには繋がりません。
池江さんをただ苦しめるだけの話です。
どうしても開催してほしくないのならば、誰かを傷つけずに説得する方法を考えるべきなのです。
逆に開催するのであれば、なるべく多くの人を納得させるだけの資料や意見や考えを公表しなくてはいけません。
「お金の問題なのか?」と国民が憶測で物を考えはじめてしまう前に、違うなら違う、そうならそうと言うべきなのです。
4 実際におこるモラルジレンマ
このようなモラルジレンマ的な考え方は日常で日々起こっています。
「こっちを選んだほうがいいのか?あっちを選んだほうがいいのか?」
なんてことは多々あります。
「今日のお昼はハンバーグか唐揚げか」
という可愛いものまであると思います。
人はなんとなく決めて大丈夫なものは大した後悔には繋がらないのですが、人生が関わってきたり、命が関わってきたりするものは慎重に選びます。
そう、今回の新型コロナウィルスのように。
開催すれば世界最高峰のスポーツを見ることができるし、それが東京で味わえる。
一方で開催することで新型コロナウィルスの感染リスクが高まる。
中止すれば、新型コロナウィルスの感染リスクは開催するよりは低くなるかもしれません。
一方で中止することで選手たちの活躍は見ることができなくなるし、莫大なお金が吹っ飛びます。
命が関わってきたり、夢や希望、努力が関わってきたりしています。
道徳の授業的には「命」と「夢・希望、努力」のどちらを取りますか?という質問でしょうか。
そんなときによりよい選択ができるように、大人は子どもに考え方を教えてあげる必要があると思います。
「命を選ばないあなたは白状な人間だ」
「選手のここまでかけてきた努力と時間を考えたら簡単に中止なんて言えないはずだ」
どちらにも言い分はあるはずです。
でも、命が大切だと思っている人だって、選手たちの努力や時間を無駄にしていいなんて思っていないはずです。
選手たちの努力や時間が大切だと思っている人も、命が軽いものだなんて思っていないはずです。
だからお互いの意見を尊重して考えるのです。
軽々しく「開催」や「中止」と口にするのではなく、よりよい方法を考えるのがいいのだと思います。
誰かを傷つけてまで手に入れるのではなく、納得させて手に入れる方法が必ずあるということを子どもたちに教えてあげたいものです。
もちろんですが、万人を納得させられることはありません。
ハンバーグと唐揚げですら、きっと納得しない人がいるのに、東京オリンピック開催と中止・延期で万人が納得するはずがありません。
でも、そのような「自分と違う意見の人を叩き潰すのではない」という考え方は教えるべきだと思います。
この考え方を伝えておけば、今の子どもたちが大人になったときに、このような究極の選択があったときに、よりよい考えを出してくれることでしょう。
5 まとめ
東京オリンピック2020は開催されるのか、中止・延期されるのかについて考えました。
道徳の授業ではモラルジレンマという考え方があります。
それは究極の選択です。
学校の道徳授業では、意見の違う相手を叩き潰すことは教えません。
意見が違ったら、それを受け止めて、納得するか説得するかをします。
「おまえの意見は俺とは違うんだから変えろ!」
なんてことはしません。
東京オリンピックのような大規模なものは慎重になって考えなければいけません。
どちらに決まっても、万人を納得させる方法はありません。
でも決める過程で、誰かを傷つけるようなことはしてはいけません。
今回の東京オリンピック開催には、命、夢、希望、努力が関わってきていると思います。
命が大切だと思っている人だって、選手たちの努力や時間を無駄にしていいなんて思っていないはずです。
選手たちの努力や時間が大切だと思っている人も、命が軽いものだなんて思っていないはずです。
だからお互いの意見を尊重して考えるのです。
それを大人が子どもに示さなければいけないのです。
モラルジレンマには答えがありません。
ちゃんとした考えをもって遂行すれば、どちらも正しい答えだからです。
だから、この東京オリンピック2020の開催の有無にも本当は答えなんてないのです。
でも最終的には決めなければいけないこと。
そのときの判断を待って「了解」と言うしかないのです。
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