最近の誰でも知っているニュースを見て学校教育ではどうに指導したら良いのかについて考えてみました。
今回はいくつかのニュースを取り上げて学校の道徳ではどんな指導をしていてどんなことを考えさせたいのかについてみなさんと一緒に考えてみます。
1 道徳教育の価値項目
学校教育での道徳は小学校では2018年、中学校では2019年から全面教科化となりました。
それまでは授業ではやっていたけれど教科ではなかったのです。
だから教科書もなかったのです。
ではなぜ教科になったのでしょうか。
それは「後を絶たないいじめ」が背景となって教科化のきっかけとなりました。
「教科にしたからいじめはなくなるのか?」
という疑問はあると思います。
ごもっともですが、教科にした方がその可能性が高くなると答えるしかないかもしれません。
教科になると教科書ができます。
それまでは審査のない副読本や教員が独自に作成した資料を活用していました。
教科書になったことによって一律に教えなければいけないものが確立されたのです。
それまでは担任の裁量によって道徳をやったりやらなかったりということが事実としてありましたが、教科になったことによってそれはしてはいけないことになりました。
「算数でかけ算九九を教えないで次の学年に送る」
「国語でその学年の漢字をしないで次の学年に送る」
これと同じことになるのです。
その学年で身につけなければいけない考え方や価値はしっかりと身につけて次の学年にいかなければいけないのです。
ちなみに道徳で教えること、考えること、身につけることは「価値項目」と言います。
例えば「いじめはいけない」ということを扱った教材で身につけるべき価値は「思いやり、感謝」となります。
例えば「命は大切にしなければいけない」ということを扱った教材で身につけるべき価値は「生命の尊さ」となります。
このように価値を身につけることでその考え方をもって大人になろうということです。
価値の一覧は
を参考にしてください。
また体育ではブログで載せたことも多々ありますが、道徳では一度もなかった
も参考にしてください。
それではそれを踏まえた上でニュースから考えていきたいと思います。
2 金メダルかじり
大きな波紋となった名古屋市長の金メダルかじり問題です。
これってどうして問題となり、批判を浴びたのでしょうか?
学校の道徳ではどのような価値で取り扱うのでしょうか?
「善悪の判断、自律、自由と責任」
「礼儀」
「公正、公平、社会正義」
というところでしょうか。
これらを詳しく解説したいと思います。
すべて小学校高学年として解説させていただきます。
責任という言葉と礼儀という言葉は言うまでもありません。
市長という立場でありながら責任ある行動がとれていません。
このような一つの市の長が責任のない行動をとったことによって、役所に勤めている方々が火消し作業をしたことは言うまでもありません。
責任のない行動をすれば必ず誰かに迷惑をかけて、その誰かが尻拭いをしているということです。
そして金メダルを獲った選手に対しての礼儀がありません。
金メダルはちょっとしたブランドショップに行けば購入できるわけではありません。
あの金メダルというのは汗と涙と努力の結晶です。
選手によっては他人に触られることすら嫌がる人もいます。
それを噛むというのは今回の偉業を観ていないということがバレバレです。
私がなによりも気になったのは「公正、公平、社会正義」です。
まず市長は「女性」だからナメていたのだと思います。
その時点で公正公平には欠けています。
ジェンダーな世の中になっていて、オリンピックもそれを目指していたにも関わらず、なにもわかっていませんでした。
そしてナメていた女性のバックにトヨタ自動車という大企業が付いていたことにビビってしまったから謝罪したのです。
だから市長が謝りたかったのは後藤選手ではなく、大企業のトヨタ自動車です。
「愛知県でトヨタ自動車を敵に回して良いことが起こるはずがないから謝っただけ」
ということがとって伺えます。
だから根本的な解決には至っていないのです。
本人への謝罪の気持ちがないし、IOCが交換してくれるのを自腹でお金を出せばいいという考え方です。
ということで教科になったことですし、市長には小学校1年生から道徳の授業を受け直していただきましょう。
3 嫁入り前のお嬢ちゃん
女子ボクシングで史上初となる金メダルを獲得した入江選手に対して発した「ご意見番の張本さん」の言葉です。
「嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合ってね。こんな競技、好きな人がいるんだ」
が波紋を呼んでいます。
道徳的にはどのような価値でいったら良いのでしょうか?
「自主、自律、自由と責任」
「希望と勇気、克己と強い意志」
「思いやり、感謝」
「礼儀」
「公正、公平、社会正義」
こんなところでしょうか。
まずこちらの件も責任のない発言です。
日本ボクシング連盟に謝罪文を出したのはTBSです。
張本さんの謝罪文も入っていますが、TBSが出した中の出来事です。
名古屋市長同様に火消しはいつでも周囲です。
希望と勇気というのは、
「より高い目標を立て、希望と勇気をもち、困難があってもくじけずに努力して物事をやり抜くこと」
というのが指導内容となっています。
張本さんは偏ったお考えをお持ちなので、入江選手が顔を殴り合っているだけに見えたのかもしれませんが、高い目標を立てて希望と勇気をもち、困難があってもメダルを目指してスポーツをしていたと知っていただきましょう。
礼儀は言うまでもありません。
公正公平も市長のときと同じです。
女性を軽視しています。
国を背負った選手を「お嬢ちゃん」呼ばわりです。
そしてご自分の功績に絶対の自信があるので、すべての人は自分以下だから度重なる失言が起こるのだと思います。
偏った見方はしてもかまわないと思います。
それはテレビの前で1人でやる分にはです。
誰も聞いていない独り言だったらまだ良いでしょう。
聞いている人がいる時点でそれは良くないことになってしまいます。
ましてメディアをはさんでしまった以上は公正公平に物事を見られる人間でなければいけません。
そしてボクシングというスポーツを「こんな競技、好きな人いるんだ」呼ばわりです。
スポーツというものを公正公平に観てはいないのでしょう。
ということで張本さんにも、小学校1年生から道徳の授業を受けていただきましょう。
4 2つのニュースから言えること
どちらのニュースも2人からも「悪気がなく反省がない」ということです。
子どもはよく
「わざとやったわけじゃない」
という言い訳をします。
わざとでなければ人を傷つけても良いのでしょうか?
相手にとってはわざとでもわざとでなくても傷つくのです。
いじめの定義は
「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」
となっています。
つまりいじめはいじめられた児童生徒の感じ方がすべてなのです。
いじめられた児童生徒が「いじめられた」と言えばいじめなのです。
相手がどれだけ「ふざけてただけ」「悪気はなかった」と言っても通用しません。
法的に決まっているのです。
相手のことを考えられないのであれば、市の長もご意見番もすべきではないのです。
また、本人の意思で謝罪ができないのであれば、小学校からやり直すべきです。
5 まとめ
今回は最近気になったニュースを学校の道徳教育と繋げて考えてみました。
道徳は小学校では2018年から中学では2019年から全面教科化となりました。
なぜ教科となったのかというと、後を絶たないいじめがあるからです。
教科になったことで、絶対にやらなければいけない道徳となりました。
道徳には「価値項目」というものがあって、それらを考えさせたり実行させたりしていくことを目的としています。
それを踏まえて2つのニュースを取り扱いました。
1 金メダルかじり
大きな波紋となった名古屋市長の金メダルかじり問題です。
道徳教育では
「善悪の判断、自律、自由と責任」
「礼儀」
「公正、公平、社会正義」
というところでしょうか。
市長という立場でありながら責任ある行動がとれていません。
このような一つの市の長が責任のない行動をとったことによって、役所に勤めている方々が火消し作業をしたことは言うまでもありません。
そして金メダルを獲った選手に対しての礼儀がありません。
金メダルというのは汗と涙と努力の結晶です。
選手によっては他人に触られることすら嫌がる人もいます。
私がなによりも気になったのは「公正、公平、社会正義」です。
まず市長は「女性」だからナメていたのだと思います。
その時点で公正公平には欠けています。
ジェンダーな世の中になっていて、オリンピックもそれを目指していたにも関わらず、なにもわかっていませんでした。
そしてナメていた女性のバックにトヨタ自動車という大企業が付いていたことにビビってしまったから謝罪したのです。
だから市長が謝りたかったのは後藤選手ではなく、大企業のトヨタ自動車です。
「愛知県でトヨタ自動車を敵に回して良いことが起こるはずがないから謝っただけ」
ということがとって伺えます。
だから根本的な解決には至っていないのです。
本人への謝罪の気持ちがないし、IOCが交換してくれるのを自腹でお金を出せばいいという考え方です。
ということで教科になったことですし、市長には小学校1年生から道徳の授業を受け直していただきましょう。
2 嫁入り前のお嬢ちゃん
女子ボクシングで史上初となる金メダルを獲得した入江選手に対して発した「ご意見番の張本さん」の言葉です。
「嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合ってね。こんな競技、好きな人がいるんだ」
が波紋を呼んでいます。
道徳教育では
「自主、自律、自由と責任」
「希望と勇気、克己と強い意志」
「思いやり、感謝」
「礼儀」
「公正、公平、社会正義」
こんなところでしょうか。
まずこちらの件も責任のない発言です。
日本ボクシング連盟に謝罪文を出したのはTBSです。
張本さんの謝罪文も入っていますが、TBSが出した中の出来事です。
名古屋市長同様に火消しはいつでも周囲です。
希望と勇気というのは、
「より高い目標を立て、希望と勇気をもち、困難があってもくじけずに努力して物事をやり抜くこと」
というのが指導内容となっています。
張本さんは偏ったお考えをお持ちなので、入江選手が顔を殴り合っているだけに見えたのかもしれませんが、高い目標を立てて希望と勇気をもち、困難があってもメダルを目指してスポーツをしていたと知っていただきましょう。
礼儀は言うまでもありません。
公正公平も市長のときと同じです。
国を背負った選手を「お嬢ちゃん」呼ばわりです。
聞いている人がいる時点でそれは良くないことになってしまいます。
ましてメディアをはさんでしまった以上は公正公平に物事を見られる人間でなければいけません。
そしてボクシングというスポーツを「こんな競技、好きな人いるんだ」呼ばわりです。
スポーツというものを公正公平に観てはいないのでしょう。
ということで張本さんにも、小学校1年生から道徳の授業を受けていただきましょう。
3 2つのニュースから言えること
どちらのニュースも2人からも「悪気がなく反省がない」ということです。
子どもはよく
「わざとやったわけじゃない」
という言い訳をします。
わざとでなければ人を傷つけても良いのでしょうか?
相手にとってはわざとでもわざとでなくても傷つくのです。
いじめの定義は
「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」
となっています。
つまりいじめはいじめられた児童生徒の感じ方がすべてなのです。
いじめられた児童生徒が「いじめられた」と言えばいじめなのです。
相手がどれだけ「ふざけてただけ」「悪気はなかった」と言っても通用しません。
法的に決まっているのです。
相手のことを考えられないのであれば、市の長もご意見番もすべきではないのです。
また、本人の意思で謝罪ができないのであれば、小学校からやり直すべきです。
以上が今回気になったニュースを道徳教育と繋げてみました。
かつてかじられたことで傷ついて顔色が変わってしまった人がいます。
ドラえもん選手です。
ドラえもん選手は黄色の身体で生まれてきたのですが、耳をねずみにかじられて青ざめてしまい、今の青になってしまいました。
おかげで映画の度に「青だぬき」と呼ばれるようになり、苦労しています。
だからかじるというのは人を傷つける行為なのだということは間違いありません。
何かを噛みたいときには「つぶグミ」がおすすめです。
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