東京オリンピックを道徳教育で扱おう!苦しい思い出と感謝の気持ちをどのように話し合っていけばいいのか考えてみた!

教育

東京オリンピックが終わり、甲子園が始まり、パラリンピックを控えている現在です。
東京オリンピックではメダルに関わらずたくさんの日本選手や世界の選手の活躍が観られました。
観ていく中で感じたことを今回は書かせていただきます。
最後まで読んでいただくと、オリンピック選手のやってきたことと自分の生活と照らし合わせて、勇気と活力をもらえるかもしれません。
そして学校教育として子どもたちに何を伝えていくことができるのかを見つけることができるかもしれません。
自分だったら道徳の授業でこんな風にとりあげると考えながら読んでいただくと良いかもしれません。

1 苦しいことしかなかった

「オリンピックに出る選手は特別な人たちなんでしょ?」
「生まれつき運動ができて、才能のある人だけが出ているんでしょ?」
若干思いがちな考え方です。
ですが、オリンピックを観ていて思ったのはインタビューで
「苦しい思い出しかなかった」
「嫌いになりそうだった」
「毎日吐きそうだった」
という言葉がよく聞こえてきました。
「あれ?オリンピック選手で、しかもメダルを獲るような選手は天才だから練習はするだろうけど、そこまでのことしていないんじゃないの?」
と思いがちです。
でも違ったのです。
オリンピックに出る選手は確かに天才的な能力をもっているのかもしれません。
ですが、天才だけが出られる大会なら誰も目指しません。
オリンピアンは毎日血反吐を吐くほど練習をし、自分がやっている競技が嫌いになるほど練習をして当日を迎えていたのです。
今回のオリンピックを観て感動した子どもたちや影響を受けた子どもたちはたくさんいたはずです。
この競技をやってみようと思った子どもだってたくさんいると思います。
でも勘違いしてほしくないのは、あの栄光の裏には血反吐も汗も涙も怪我も努力も想像を絶するほどあったということです。
やりたいことはやらずにとにかく練習を繰り返した選手だっていたはずです。
子どもたちにはオリンピックから何かを感じてもらいたいし憧れてもらいたいと思います。
甲子園を見て、球児たちを目指したいと思ってもらいたいです。
ですが「それなりの練習」ではそこにはいきつかないのです。
やってみたら「あれ?こんなはずじゃなかった・・・もっと楽しいはずなのに」と思うかもしれません。
だから今回のオリンピックで
「やった!メダルが獲れてうれしい!」
だけではなく
「苦しい思い出しかなかった」
というインタビューが度重なったのは、そういう視点もあるということを示せたのではないでしょうか。

2 苦しさを出してしまった理由

今までのオリンピックではまずはメダルの喜びや入賞の喜びなどの声が聞こえてきました。
あったとしてもせいぜい
「4年間の努力が報われました」
という言葉だったように感じます。
でもなぜ今回のオリンピックはそれほどに「苦しい」が聞こえてきたのでしょうか。
それは直近1年半が本当に苦しかったからだと思います。
「新型コロナウィルス」
の存在です。
練習場が使えなくなって思うような練習ができなくなりました。
海外でも自宅に練習場を作ってオリンピックを目指したという選手もいました。
練習ができないということは選手にとって大きな心の負担になっています。
そして大会が開かれないということも同じ負担です。
大会が開かれることによってオリンピックまでの調子を上げている部分はあると思います。
「試合勘」ということ言われるように、試合でしか味わうことができない練習というのはあります。
戦略だったり緊張感だったりレースプランだったり・・・。
その大会が開かれないことによって選手たちは苦しめられました。
そしてあるのかないのかわからないオリンピックに対して苦しめられました。
これらが「苦しい思い出しかなかった」という練習面のきつさを増幅させてしまったのだと思います。
だからこそ苦しさのインタビューの後には必ず「感謝」の言葉が聞こえてきました。
感謝の中にもいろいろな意味が込められていました。
・ 支えてくれた家族や監督、チームメイトに感謝
・ コロナ禍の中で東京オリンピックを開催してくれたことへの感謝
・ 日本への感謝
選手たちは、大きな声では言えなかったけれど東京オリンピック開催を望んでいました。
でも世界の人たちがコロナによって苦しめられている中で、オリンピックを開催してくれなんて言えないのです。
だからこそ、インタビューの最後には
「コロナ禍の中、大会を開いてくださってありがとうございます」
「大変なときに応援してくださってありがとうございます」
という言葉が出てくるのだと思います。
人は一人では生きてはいけません。
だからこそ感謝の気持ちは忘れてはいけないのだと思います。
世界でトップクラスの人たちが自分の5年間を苦しい思い出しか残らない練習をしながら、世の中に感謝をしている。
受け取る側は感動をもらっている。
スポーツってこういうものなのだと思います。
子どもたちに伝えたいのは、目標の達成には汗と涙と努力と痛みはつきものだと伝えていきたいし、終わったら感謝の気持ちが必要だということを伝えていきたいです。
道徳には「夢・希望」などの価値項目があります。
そんなとき、夢や目標を達成するためにはラクな道のりはないということを考えるきっかけになれるかもしれませんし、感謝の気持ちを忘れてはいけないということを考えることができるようになるかもしれません。

3 まとめ

今回の東京オリンピックを観ていて、インタビューでは今までと違う受け答えだったのでそれを取り上げてみました。

1 苦しいことしかなかった
オリンピックを観ていて思ったのはインタビューで
「苦しい思い出しかなかった」
「嫌いになりそうだった」
「毎日吐きそうだった」
という言葉がよく聞こえてきました。
「あれ?オリンピック選手で、しかもメダルを獲るような選手は天才だから練習はするだろうけど、そこまでのことしていないんじゃないの?」
と思いがちです。
でも違ったのです。
オリンピックに出る選手は確かに天才的な能力をもっているのかもしれません。
ですが、天才だけが出られる大会なら誰も目指しません。
オリンピアンは毎日血反吐を吐くほど練習をし、自分がやっている競技が嫌いになるほど練習をして当日を迎えていたのです。
今回のオリンピックを観て感動した子どもたちや影響を受けた子どもたちはたくさんいたはずです。
この競技をやってみようと思った子どもだってたくさんいると思います。
でも勘違いしてほしくないのは、あの栄光の裏には血反吐を汗も涙も怪我も努力も想像を絶するほどあったということです。
やりたいことはやらずにとにかく練習を繰り返した選手だっていたはずです。

2 苦しさを出してしまった理由
今までのオリンピックではまずはメダルの喜びや入賞の喜びなどの声が聞こえてきました。
あったとしてもせいぜい
「4年間の努力が報われました」
という言葉だったように感じます。
でもなぜ今回のオリンピックはそれほどに「苦しい」が聞こえてきたのでしょうか。
それは直近1年半が本当に苦しかったからだと思います。
「新型コロナウィルス」
の存在です。
練習場が使えなくなって思うような練習ができなくなりました。
大会が開かれないということも同じ負担です。
大会が開かれることによってオリンピックまでの調子を上げている部分はあると思います。
「試合勘」ということ言われるように、試合でしか味わうことができない練習というのはあります。
戦略だったり緊張感だったりレースプランだったり・・・。
その大会が開かれないことによって選手たちは苦しめられました。
これらが「苦しい思い出しかなかった」という練習面のきつさを増幅させてしまったのだと思います。
だからこそ苦しさのインタビューの後には必ず「感謝」の言葉が聞こえてきました。
感謝の中にもいろいろな意味が込められていました。
・ 支えてくれた家族や監督、チームメイトに感謝
・ コロナ渦の中で東京オリンピックを開催してくれたことへの感謝
・ 日本への感謝
選手たちは、大きな声では言えなかったけれど東京オリンピック開催を望んでいました。
でも世界の人たちがコロナによって苦しめられている中で、オリンピックを開催してくれなんて言えないのです。
だからこそ、インタビューの最後には
「コロナ禍の中、大会を開いてくださってありがとうございます」
「大変なときに応援してくださってありがとうございます」
という言葉が出てくるのだと思います。
人は一人では生きてはいけません。
だからこそ感謝の気持ちは忘れてはいけないのだと思います。
子どもたちに伝えたいのは、目標の達成には汗と涙と努力と痛みはつきものだと伝えていきたいし、終わったら感謝の気持ちが必要だということを伝えていきたいです。
道徳には「夢・希望」などの価値項目があります。
そんなとき、夢や目標を達成するためにはラクな道のりはないということを考えるきっかけになれるかもしれませんし、感謝の気持ちを忘れてはいけないということを考えることができるようになるかもしれません。

学校教育では、東京オリンピックというのはただのスポーツの未祭典として終わらせるのではなく、数々のドラマを「道徳」として取り上げてみてはどうでしょうか。
子どもたちは本の中の物語よりも身近な問題の方が考える意味を見出します。
たくさんのことを感じることができると思います。
頑張ると苦しくなって吐いてしまうこともあると思います。
大人気漫画「スラムダンク」に登場する、日本人なら誰もが知っているビックジュンこと「魚住純」も練習がきつすぎて吐いてしまったことがあるくらいです。
だから「あの魚住ですら吐いてしまうんだから頑張ろう」と思えます。
しかし「馬」はそうはいきません。
世界の常識として知られていますが、馬を思い浮かべるときにまず考えてしまうのは「吐かない」ことだと思います。
どれだけ辛くても吐かないので、ついつい日常的に無理をさせてしまいがちですが、あまり無理をさせないようにしましょう。

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