体育座りをなくすことの意味!時代とともに日本の魅力と美学が変わっていく!

徒然日記

最近のニュースで
「子どもの腰に悪い?脱・体育座り、広がるかPTA巻き込む中学校」
という記事をみました。
日本人になじみ深い体育座りですが、これからなくなっていくのでしょうか。
今回は体育座りの今後や体育座りのあるべき姿について考えていきたいと思います。

1 脱・体育座り

今回の記事は、山口県下関市の中学校の話です。
体育館で開かれた集会で体育座りをしている生徒がつらそうな表情を目にした校長が体育座りではなく椅子に座って集会を受ける。
というものでした。
無理な姿勢を長時間続けることは生徒の健康に関わると判断したそうです。
確かに体育座りは腰に負担のきそうな座り方です。
科学的にもそのように解説されるのだと思います。
では、体育座りをする場面ではどうするのでしょうか?

2 脱・体育座り②

学校で体育座りをする場面で考えられるのは
「集会」
「体育授業」
「何かの待ち時間」
です。
今回の記事にはこのようにも書かれていました。
「生徒会や講演会、月1~2回の全校集会。体育座りをする機会は月1~2回とはいえ、長い時は1時間に及ぶ」
ということです。
確かに1時間の体育座りはきついと思います。
ただ、体育座りが体によくないから日本中のすべての学校が椅子を使用することができるのか?
おそらくNoです。
今回の事例は生徒109人と比較的少ない人数の学校です。
もしもこれが500人を越える生徒数になってくると・・・椅子の出し入れだけでかなりの時間を使ってしまいます。
そもそもそれだけの椅子が学校に準備できるのか?
だから脱・体育座りを実現することは難しいということになります。

3 脱・体育座りから考えられること

コメントには「集会が長すぎる」「もっと話を短くしろ」などが多数寄せられていました。
それは確かに言えることです。
1時間の集会になってくると体育座りでもパイプ椅子でも、あぐらでも正座でも立っていてもつらくなります。
ときどき体勢を変えたとしてもきついのです。
そしていくら中学生と言えども1時間集中力をもたせることはできません。
だから集会自体の見直しが必要になります。
体育授業など、体育座りをする場面のある授業でもそうです。
子どもたちの体力向上や技術向上のためには話はできるだけ短くすることが大切です。
そのために体育を実施する教員は試行錯誤しながら運動量を確保しています。
だから体育授業でも体育座りを減らすような工夫が必要なのです。
では「話が長すぎるんだ!」「集会なんてやめろ!」で済まされる記事なのでしょうか。
今回こういった記事が出たのは時代を見直すということが必要になったのではないでしょうか。
体育座りや正座は日本の風物詩であり、日本の美学です。
あの正座の凛々しい座り方や三角に立てた体育座りが揃っている姿、それが魅力なのです。
だから昔から日本に引き継がれてきたのだと思います。
それが日本なのです。
でも「そういう時代ではなくなった」ということなのです。
座り方だって自分で考えていい時代になったのです。
「どんな座り方でもいいんだよ、途中で姿勢を変えてもいいんだよ」
ということなのかもしれません。
会社に行って朝から提示まで仕事をする時代から、リモートの時代になりました。
それがもっと当たり前になったら、座り方なんてどっちでもよくなるのかもしれません。
ただ、会社で上司や先輩が立って大切な話をしているときに、突如座り出してしまう部下や後輩が出てしまわないように時と場合を教えた上でのことです。

4 まとめ 

今回は体育座りについて書かれた記事を見かけたので脱・体育座りについて考えてみました。
集会で長い時間、体育座りをしていてつらそうな表情を生徒たちが見せていたので椅子に変えたというものでした。
その記事のコメントでは
「集会が長すぎだ」
「話を短くしろ」
などばかりでした。
たしかにそれは一つ言えます。
体育の授業でも短い時間で説明をして運動量を確保しなければいけません。
長々と話を聞いていても技能は向上しないからです。
集会も内容を見直して長い時間同じ姿勢でいないような配慮がまずは必要なのだと思います。
長い時間になってしまえば体育座りだろうが、パイプ椅子だろうが、正座だろうがあぐらだろうが、立っていようがつらいものはつらいからです。
でも、今回の記事はそのようなコメントは予想されていたと思います。
言いたいことはきっと座り方も自由で自分で考えようということではないでしょうか。
長い時間なのであればずっと体育座りでいるのではなく姿勢を変えてもいいんだよということだと思います。
そしてそのような姿勢の変更を柔軟に学校教育は対応していくべきということなのだと思います。
体育座りでも、立て膝にしていても、あぐらにしていても、それを注意の対象にしないでおきましょうという提案のような気がします。
でもきっと集団が乱れるという意見がでると思います。
それは集団が揃うという日本の美学だからです。
日本人はみんな一緒というのに安心をする文化です。
だから学校教育でもそのようにしてきました。
もちろん1対1で先生が話しているときに、突然座るような指導は絶対にしてはいけません。
それを許せば社会に出た時に、上司や先輩に同じ態度をとってしまうし「常識として」だからです。
でも集団で話を聞いているときに体育座りの子もあぐらの子もいてもいいと思うというところなのです。
日本の考え方を今後変えていかなければいけないという記事なのだと思います。
ただ、雨の日も風の日もつらくても楽しくても姿勢を変えないのは考える人です。
きっと
「小便小僧はあの姿勢でずっと小便をしているけどつらくないのかなぁ」
と考えているに違いないと思いきや、何も考えていません。
地獄に落ちていく人をみているというのが「考える人」です。
そして小便小僧はあの姿勢でずっと
「あ~あ、小だけじゃなくて大もしたいなぁ」
と考えていると思いきや、導火線の火を消して町を救った英雄の凛々しい姿なのです。
同じ姿勢でいることの美学も一つ大切にしなければいけないのかもしれません。

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